楽笑会 つれづれのページ

このページでは、日頃感じたことや気づいたことなどを
特にテーマを決めずに
書いていこうと思います


  ようこそ 
 楽 笑 会
 


つれづれ 2021~22年

野田先生の思い出ヒペリカムコロナワクチン卵焼き叔母のこと







2022年1月
叔母のこと

私には義理の伯母も含めて何人かの伯母・叔母がありました。中でも、母方の叔母には小さい頃からとても可愛がってもらっていて、とても気の合う大好きな叔母でした。明るくて、歌が大好きで、おしゃべりで、そして、とてもしっかりしていて何でもできる、でも努力も怠らない人でした。

昨年、叔母は米寿を迎えました。春ごろにお祝旅行をする計画を夫が立ててくれました。コロナの影響で2度延期したものの、ようやく10月の初めに1泊の旅行が実現しました。その少し前に体調を崩していた叔母は、出かけるのを少しためらってはいたのですが、叔母と一緒に暮らしている従妹が強く勧めてくれて、元気に出かけることができました。夫と3人、箱根の温泉でゆっくりしました。叔母と背中の流しっこもできました!

叔母の家に迎えに行ってから、ずっとずーっとしゃべり続けた2日間でした。それでも、しゃべり足りないと思うくらい、3人でいろいろな話をしました。叔母が子どもだった頃のこと、結婚してからのこと、仕事のこと、趣味のこと、そして子ども達(私の従弟妹たち)のことなど、たくさん聞きました。また、私のこともたくさん話しました。

旅行もすごく楽しんでくれて喜んでいましたが、帰ってきてから写真をアルバムにして送ったら、すごく嬉しかったぁと、お礼の電話をくれました。楽しかったね、また行きたいね、と話しました。腰が痛いとか目が見にくいとか耳が聞こえにくいとか、体の不調もあるけれど「100歳まで生きる!」と元気に話していました。

ところが、今年初め「年賀状ありがとう!」と電話をくれて話をしたばかりだったのに、1月17日熱を出して入院したと従妹から連絡をもらいました。コロナではなかったのですが、肺炎を起こして集中治療室に入ったというのです。そして、1週間、叔母は逝ってしまいました。

なんとあっけない!と、言葉が出ませんでした。もう一度一緒に温泉に行くんじゃなかったの? 100歳まで生きるんじゃなかったの? もっともっと話をしたかったのに。話を聞いてほしかったのに。・・・

思えば、叔母は時代をうんと先取りした人でした。自分は誰かに頼って生きたかった、と言ってましたが、それよりも自分が引っ張って行く方が向いていたのだろうと思います。また、それだけの能力もある人でした。ですから、ひょっとしたら生きづらいことがあったかもしれません。でも、この時代の人たちの中では、とても幸せに生きた人だったんじゃないかと私は思います。

大好きな叔母ちゃん、どうぞ安らかに眠ってください。 合掌









2021年11月
卵焼き

突然ですが、皆さん、卵焼きは好きですか? 私は卵焼きはもちろんのこと、卵料理は全て大好きです。

卵焼きと言えば、卵を割って溶いて焼く、というシンプルな料理です。卵焼き器があれば四角くて形の良い卵焼きができますね。お弁当にも必ず入っています。そんな大好きな卵焼きなのですが・・・。

最近「関西の卵焼き」が変なのです。ここ数年から10年くらいでしょうか。関西で食べる卵焼きが甘いのです。皆さんのところはどうなんでしょう? 卵焼きは甘い物なのでしょうか。

私が子どものころに食べていたのは、塩味(もしくは、出汁の味)の物で、決して甘い物ではありませんでした。もちろん、市販のお弁当に入っている卵焼きも甘くはありませんでした。

ところが、最近は市販のお弁当の卵焼きも甘いのが普通になってきました。そして、甘くない卵焼きはわざわざ「出汁巻き卵」という名前で売っていたりします。そうかぁ、卵焼きは甘いんだ、とちょっとがっかりでした。(できたら、やめてほしいなぁ・・・ぶつぶつ)

話は変わりますが、箱根に、とってもお気に入りの旅館があります。20年以上前から、たびたび泊まりに行っています。何が気に入っているかというと、行き届いたサービスはもちろんなのですが、食事がとても美味しいのです。確か京都で修行をされた板前さんがいらっしゃるとか。さすがだわ~!(夫など「もっと近ければ食事だけでもしに行きたい!」と常々申します)

ところが、そんな旅館の朝ご飯に出てくる卵焼きが、数年前から甘い卵焼きに変わりました。関東の卵焼きが甘いと知ってはいましたが、ここの卵焼きは決して甘くはなかったのに、なぜ?

この旅館では、嫌いなものや食べられないものは言っておくと一人ひとり対応してくださいます。それで私も、甘い卵焼きは嫌だと伝えました。先日久しぶりに泊まりに行ったのですが、ちゃんと甘くない卵焼きを出してくれました。ありがたいことです。わがままに対応してくださって感謝です!

そして、そして、先日釜石に旅行した時に入った海鮮居酒屋さんでのことです。メニューに「出汁巻き卵」とあったので頼みました。そうしたら、見事に甘い味がついていました。えぇ~! これは違うやん! と私はがっかりでした。これからは、「出汁巻き卵」でも気をつけなくっちゃね、と思ったことでした。

小さい頃になじんだ味の記憶は、結構強く残るものなのですね。もちろん、子どものころには嫌いだったものが美味しく食べられるようになったり、子どもには分からなかった味が大人になって分かることもあります。ですが、私の卵焼きは、甘くてはいけません。

どなたか、卵焼きが甘くなった理由、というか経緯(いきさつ)をご存知の方はいらっしゃいませんかぁ~(笑)。









2021年7月
コロナワクチン

ワクチンのことについて書こうと思います。

大人になってから私はワクチンを打ったことがありませんでした。インフルエンザのワクチンも、です。だって、ワクチンを打ってもインフルエンザに罹った人の話をよく聞くし、何より、私はワクチンを打ってなくてもインフルエンザに罹ったことがありません(自慢することでもないけどね)。

じゃあ、コロナのワクチンはどうしましょう。親の世代は当然打っておいた方がいいよねと、まず思いました。それで、早めに予約をし(幸いうまく予約できました!)、会場に付き添いました。特に副反応もなく、腕が痛いなぁ、くらいで済みました。

次に私たちの世代にワクチン接種券が届き始めました。この頃には副反応はどんなものか、気をつけることはどんなことか、などの情報もあれこれ伝わってくるようになってきました。

コロナに罹った時のつらさとワクチンの副反応を比べると、圧倒的に副反応の方が軽そうです。また、私のようにあちこちに出かけて行って、沢山の人たちと会うことが多い者にとっては、自分だけでなく私が会う人たちのリスクを減らすためにも、やはり打っておいた方がいい、と思いました。つまりは「みんなにとってどういうことか」ですね。

家の近所の内科クリニックの予約が取れたので、6月初旬1回目の接種に行きました。ちょっとドキドキです。先生が丁寧に問診をしてくださった後、花粉症があるからという理由で、接種後30分はクリニックに居てください、とおっしゃいました。接種そのものは、筋肉注射のわりにほとんど痛みもなく、あっという間に終わりました。その後、本など読みながら時間を過ごしました。気分が悪くなるとか、ドキドキしてくるとか、そんなことは何もありませんでした。副反応としては、当日の夜から接種した側の腕(しかも接種したところじゃなく臂に近い部分)が筋肉痛のように痛くなる、翌日は1日体がだるいくらいのことで、特に何もない、に近かったです。

3週間後、同じクリニックに2回目を打ってもらいに行きました。この時には「前回はどうでしたか?」と聞かれたあとに接種、やはり30分の待機を求められました。このクリニックでは「2回目の接種後、半数くらいの人が熱が出るので、解熱剤を渡すこともできますよ」と言ってくださいました。私は、かかりつけのドクター(隣の市のクリニック)が下さっていた薬(漢方の風邪薬)を持っていたので必要なかったのですが、本当に親切だなと思いました。この頃には薬局で解熱剤が手に入らない、との報道もあったからです。

この日も特に何事もなく家に帰ってきました。接種した部分が痛く、少し腫れて熱を持っていましたが、翌日には痛みは随分とマシになりました。このまま過ごせるかなと思っていたら、午後になって熱が上がってきました。腕も腫れています。夜寝るまで熱はありましたが(とはいえ、微熱程度)、薬を飲むと、うんと楽になりました。3日目には、すっかり平熱になり、最後まで残ったのは腕の腫れでした。それも翌日には治ってしまいました。

というわけで、大した副反応もなく、コロナのワクチン体験が終わりました。接種した人たちの話を聞いていると、本当にさまざまな副反応があるようです。うちの夫のように全く何もなかった人から、職場で倒れてしまった人の話まで、・・・。

高齢者の接種が進んでくると、やはりワクチンの効果が出ていることが分かってきました。ワクチン接種を望む人たち全員に、接種が進むといいなと思っています。また、世界中の人たちにも、希望する人にはできるだけ早く行き渡るといいなと思います。









2021年5月
ヒペリカム

最近、二宮敦人という小説家の本を読んでいます。初めてに手にしたのは『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(TO文庫)というタイトルで、「衝撃と感動の医療小説!」というコピーに魅かれて読みました。続く『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』(上下2巻:TO文庫)も涙しながら読んで、死ぬことについて、つまりは生きることについて深く考えました。お勧めです。

そして、今読んでいるのは『恋のヒペリカムでは悲しみが続かない』(上下2巻:TO文庫)です。先に読んだ小説がとても良かったので、同じ作者というだけで買ってみました。タイトルがおもしろいな、それにしてもこのヒペリカムって何なの?・・・と読み始めました。(ヒペリカムが何かをご存知の方には、何と言うことのない話です、悪しからず)

小説の中には、「クラブ ヒペリカム」という場所が出てきます。無料のホストクラブ、と噂される謎の洋館という設定です。とはいえ、これではヒペリカムって何だろ?という疑問の答えにはなりません。・・・まぁ、とりあえず読み進めてみよう。

そんなある日、家の近くのスーパーに行った時に、花売り場を見るともなく見ていました。すると、そこに「ヒペリカム」の文字!ーー!えっ?!これがヒペリカム? ヒペリカムって花の名前だったのぉ~~~! しかも、これって、オトギリソウやん!!

オトギリソウといえば、花屋さんなどで売っていますが、花ではなくて実がついているものですね。ピンクやオレンジ色の実がとてもかわいいです。それとヒペリカムが同じものだったなんて!

家に帰って調べてみると、ヒペリカムは小さな黄色い花が咲きます。梅の花みたいにオシベがたくさんあるところがとても可愛らしいです。へぇ~、と思って更に見てみると、花言葉が「悲しみは続かない」とあります。ヒペリカムは花が咲いてもその日のうちに散るのだそうで、でも、すぐに実をつけるところから、そういう花言葉になったとか・・・。そっかぁ、それが小説のタイトルになってたのね、と二度ビックリでした。

小説の方は、読み進めていくうちに、この花について主人公が語る場面が出てきました。「(この花が)私は好きなんです。」と言った後で「人生に悲しみがないとは言わない。存在は認めるわけですよ。その上で、しかし永遠に続く悲しみはない、というところがいい。」と。









2021年2月
野田先生の思い出

昨年12月に亡くなられた野田先生の思い出を、浮かんだ順につづります。

そう言えば、以前夫に「もし私が認知症になったら、野田先生に"認知症の妻とのつき合い方"を教えてもらいに行ってね」と頼んだことがありました。もうそれは出来なくなってしまいました。どこかで、野田先生は私より長生きする!って思ってたんですね、先生の方が年上なのに・・・。それでも、まさかこんなに早く先生とお別れすることになろうとは思いもしませんでした。

先生の訃報に接した時、古くからの楽笑会メンバーさんが「先生の思い出に浸りながら笑っていようと思う」と言ってくれました。私も先生を思い出しながら笑っていたいと思いました。


「配慮について」
まず、一番に思い出すのは、どこまでも行き届いた配慮のことです。

いつだったか忘れましたが、カウンセラー養成講座に見学に行った時のことです。お昼休みだったか終了後にだったか、参加者の方々とお茶を飲みに行きました。その時先生が「あ~、疲れたぁ~!」とおっしゃいました。うかつな私は「そんなに疲れるのですか?」と聞きました。すると、「そりゃあ、そうだよ。生徒たちがやったカウンセリングの後始末をしないといけないだろ」とおっしゃったのです。

カウンセラー養成講座では実習が始まると、生徒たちが順番にカウンセラー役をします。クライアント役も生徒たちの中から誰かが担当しますが、その時に出す話は本当に困っていることです。架空の話ではカウンセリングの実習にならないからです。生徒たちのカウンセリングは、当然のことながら、下手くそです。下手なだけならまだしもで、時にはクライアント役を傷つけたりするようなことも起こります。もちろん、そんなことは覚悟の上で、私は養成講座を受けていましたし、少々のことでは傷ついたりしないとも思っていました。

それでも、生徒がやったカウンセリングのあとを、必ず野田先生が引き取って、ある程度の解決に導いておられました。それも、とてもさりげなく、何か雑談の続きのような感じでクライアント役の生徒から話を聞き、自然な感じで勇気づけをされていました。

私なんかから見ると、とてもさりげない感じに見えましたが、それはすごく配慮しながらクライアント役の生徒を守っておられたのだと思います。

そのことを知ってからは、さまざまなワークショップや講座での野田先生の配慮について、少しは思いがいたるようになったような気がします。また、そんなふうなカウンセラーになりたい、ならないといけない、と思ったことでした。


「感情について」
アドラー心理学を学び始めた最初の頃です。私は自分の感情について考えていました。アドラー心理学では、感情は「ある目的があって作り出され使われる」と習います。そのことは頭では理解しているつもりでしたが、自分の感情(特に怒りやイライラ)は、どうしても自分で作っていると思えませんでした。

ある時、野田先生に聞いてみました。
「先生、怒りの感情ってね、なんか瞬間湯沸かし器のように、一瞬で沸いてくるような気がするんです。それでも、自分で作ってるんですか?」

そうしたら、「自分が作るんじゃないとしたら、いったい誰が作るの?」と逆に聞かれました。ポカンと頭を叩かれたような気がしました。自分が感情を作り出していると、本当に納得できた瞬間でした。


「感情のお仕事」
感情についての思い出をもうひとつ。

その頃まだ塾の仕事をしていた私は、ある生徒の言動に困っていました。その子の言い方や反応の仕方に、つい腹が立ってしまうのです。何かの雑談をしている時に、そのことについて野田先生に話しました。すると「そんな時、腹が立ってるよ、と相手に伝えたらどう?」と先生がおっしゃったのです。「えっ?どういうことですか?」と聞くと「そうすれば怒りのお仕事は終わるでしょ」と。

怒りのお仕事?ーーーーその時はよく分からなかったのですが、後日その生徒とまたもめた時、先生の言葉を思い出しました。いつもなら、マイナスの感情で言葉を返していたのですが、その時は「そんな風に言われると、腹が立つんだよね」と冷静に伝えることができました。すると、相手はかすかにうなずいて、その後何もなかったかのように、勉強に向かったのです。お蔭で私も怒って言葉を投げつけずに済みました。

これが怒りのお仕事、感情のお仕事ってことなのかぁ・・・。


「好奇心旺盛
新大阪にあったアドラーギルドは、床に絨毯が敷いてあって、研修室はごろごろするのにもってこいでした(笑)。居心地の良い場所でした。ある時私は2~3人の仲間たちと一緒に研修室でおしゃべりをしていました。少し離れたところに、野田先生がゴロゴロしてらっしゃいました。

研修室の向かいには事務室があって、双方の扉は開け放してありました。そこへ、お客さんがアドラーギルドを訪ねてこられました。すると、研修室に居た野田先生が、がばっと起き上がりました。「あの人、おもしろいボディーランゲージをするなぁ」とひと言おっしゃって、すたすたと事務室の方へ行かれてしまいました。

野田先生は、こんなふうに、いつも周りの人々をよく見ておられて、好奇心たっぷりに過ごしておられたのだと思います。私もそんなふうな目で見られていたのでしょうね、きっと・・・。


「素敵な生き方」
何かの講座の折、デモンストレーションで野田先生にカウンセリングをしてもらう機会がありました。その時、私は「きちんと規則や約束を守って暮らしていくのが好きな方です」というようなことを言いました。すると「それは素敵な生き方だね」と先生がおっしゃいました。

私は胸がいっぱいになりました。今まで、自分の生き方について、そんな風に思ったことがなかったのです。むしろ、自分の生き方は四角四面で、堅苦しくて、何の面白みもない、つまらない生き方だと、どこかで思っていました。

ですが、先生からこんなふうな言葉をかけられて、私は「そのままでいいんだよ」と自分が丸ごと肯定されたような気がしました。この時のことを思い出すと、今でも胸が熱くなります。


「テレパシー」
初めてシンポジストをした時の話です。野田先生をはじめ、ベテランのシンポジストが並ぶ中、私だけごく普通のオバサンとして、皆さんの前に座っていました。塾での経験を少し話してくれればいいと言われていたので、15分くらい話をして、あとはもう何も話さなくていいよね、とゆったり皆さんの話を聞いていました。(会場で聞いているのとまったく同じ感じでした)

話し合いが進んだころ、少し話してもいいな、と思うことが頭の中に浮かんできました。と、そのとたん野田先生が「北風さんはどうですか?」と話を振ってくださいました。わ~、すごい、先生ってテレパシーが使えるんだ!とびっくりしました。(今なら、分かります、それは心を読んだ(テレパシー)のではなくて、私のボディーランゲージを読んだってことを…)


「ニョッキ」
一度、野田先生がご自宅に私たち夫婦を招いて下さったことがあります。ご存知のように、野田先生は料理もお得意でした。さまざまな手料理をふるまってくださって、とても美味しくいただいたのですが、その中にニョッキがありました。

ホワイトソースの中に、お団子のようなものがいくつも入っています。口に入れてみると、もちもちっとした食感が美味しい!それにホワイトソースともよく合っています。「これは何ですか?」と聞くと、「ニョッキ」という答え。ニョッキを食べたのは初めてでした。

それ以降、うちの夕食にも時々ニョッキが出るようになりました。スパゲティよりも湯でる時間が少なくて済むし、何よりもちもちしているところが、私の好みです。ホワイトソースでもトマトソースでもミートソースでも、いけます。


「最後の研修会」
2019年9月兵庫県赤穂市で「秘訣講座~パセージ・プラス」という研修会が2泊3日で行なわれました。この時野田先生も最初から最後まで参加して下さり、貴重なお話やアドバイスを沢山してくださいました。

2日目の夜、夕食後に部屋ごとに何か出し物をしよう、ということになりました。歌を歌うチームあり、寸劇をするチームあり、クイズをするチームあり、・・・さすがアドレリアン達、やるとなったらやります! 突然の企画だったのにも関わらず、ひと工夫もふた工夫もした出し物が続きました。

野田先生も含めて20人余りの参加者たちは、みんな大笑いをし、はしゃぎまわり、とても盛り上がりました(誰一人お酒を飲んではいなかったのですけれどね)。もちろん、野田先生も、皆と一緒に大笑いをし、はしゃぎ、盛り上がって楽しんでおられました。

この2年ほど前にご病気になられて講座などからも遠ざかっておられたので、この時、本当にお元気なられて、以前のように私たちを指導してくださる姿、ましてや私たちと一緒に楽しんでおられる姿がとても嬉しく感じられました。

今から思えば、私にとってこの時が最後の野田先生の研修会となってしまいました。一緒に過ごせたことをありがたく、嬉しく思い出しています。